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- 赤渋村(近世)とは
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赤渋村(近世) 江戸期~明治7年の村名都賀郡のうち渡良瀬川下流域に位置していたが,現在は大部分が渡良瀬遊水池となっている「元禄郷帳」「天保郷帳」では野渡村枝郷と見える下総古河藩領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高旧領」ともに4石余「改革組合村」では赤沼と見え藤岡宿組合寄場に属し,無民家幕末期の村鑑帳によれば,村高は4石余,反別は田8畝6歩・畑1町1畝余,このうち取米1升1合・取永282文,本年貢のほかに夫永17文を納める(古河市史)明治4年栃木県に所属同7年内野村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」